クレーターで眠ろう

チャットラウィー・セーンタニットサック

(訳=福冨渉)

この世界は絶望だらけだよ。一緒に月に行かないか?

宇宙船には、ぼくたちふたりぶんのスペースならある。100年でも暮らせるくらいになんでも揃っている。レコードとウォッカをたっぷりもちこんだ。ぜったいに退屈しない。それに、地球のひとたちと離れる孤独も恐れなくていい。ぼくの仲間が地上の管制センターにいるからね。宇宙の旅のあいだじゅう、彼らがぼくたちの面倒を見てくれる。

でも、さきに言っておくよ。これはべつにきみを口説いているんじゃない──ぼくには妻がいる。

だけど、彼女はぼくと一緒に来やしない。彼女みたいに明るいひとに、宇宙は向いていない。けれどもきみはどうだ。ぼくとまったく違わず、鬱々としている。宇宙船でも、月のうえでもうまくやれるはずだ。

言わなくてもわかるよ。きみはぼくと同じくらい、この世界に疲れ切っている。熱圏を飛び出したら、ぼくたちはあらゆる不幸やくだらないものから解放されるんだ。死ぬほどすばらしいだろ。そう思わないかい。

そこ、つまり月にはたくさんのクレーターが開いている。ぼくはクレーターを美しい寝床にするよ。ぼくたちはそこにゴロゴロ寝転がって、日がな一日地球を眺めるんだ。

……それから、きみのために花を植えよう。

トム;1972年

このひどくロマンチックなメッセージが、古い紙切れに書かれていた。紙には穴が開いていて、へんぴな村のトタン扉のトイレに吊るされている。わたしはそこで大きい用を足しながら、メッセージを読んでいる。小さなトイレには天井がなくて、用を足すひとと空を隔てるものはなにもない。

メッセージを読み終えたわたしは懐中電灯を消した。真っ暗闇がいっきに視界を覆う。わたしは急いで空を見上げて、この寂しさをかき消してくれる光を探した。そこにあったのはほかでもない、トムが狂い焦がれた丸くて大きな月だ。いまごろ彼はきっとあそこにいるのだろう。なんて羨ましい。この世界が嘘つきとレイピストだらけだってことに気づかなくてすむんだもの。月の上はきっと最高に静かで、平和なんだ。

上を見つめているうちに、首が疲れてくる。さすがにあまりに遠すぎるのだろう。月には誰の影も見えない。万を数えるクレーターのでこぼこが生んだ、巨大なうさぎが見えているだけだ。たしかに彼が言うとおり、あそこならだれにとってもゆったりした寝床になるだろう。トムはたぶん6個とか、もっと多くのクレーターを自分のものにしているはずだ。彼はシャレにならないくらいに欲深そうだし。

わたしもあそこで死にたい。できるものなら。

「ドゥアン!」遠くの砂利道に停めた車から、母が叫ぶ。

「いつまでモタモタしてるんだよ、急いでるんだ。まだ半分も来てないんだよ」

慌てて、つい、わたしはその紙をグシャッと握りつぶしてしまった。トムはバカだ。だが彼の考えに引っ張られるなんて、わたしもたいがいバカだ。

だれが月に行けるっていうんだ。アームストロングだって行けやしなかった──あんなのは大国のプロパガンダにすぎない、という意見がただの怪しげな陰謀論でもないことも、よくわかっている。ただ満月を見ていると、頭がちょっとおかしくなるんだ、いつも。

わたしは手のなかで汗だらけになっているクシャクシャのことを思い出した。これがいま手元にある最後の紙だ。インクで汚れているが、諦めて使うしかない。あまりに自由な人生を夢みるメッセージが、悪臭にまみれて、ぼろぼろのゴミ箱のなかに積まれていく。そうしてわたしはまた、人生の価値あるものを無駄にしてしまう。


さようなら、トム。

ฉัตรรวี เสนธนิสศักดิ์. "จะมีหลุมดวงจันทร์เป็นรังนอน." Lunar Lunatic : คุณคือดวงจันทร์ ฉันสิคนบ้า, P.S., 2560, น. 11-14.

*チャットラウィーの短篇小説「花、ドア、花びん、砂、大きな木」(本ページで紹介しているのとはべつの作品です)の日本語訳を掲載したZINE「はじめてのタイ文学2021」が、下北沢の本屋B&Bさんで販売中です。本邦初紹介の新世代作家の作品に触れてみてください。URL=https://bookandbeer.com/

チャットラウィー・セーンタニットサック

ฉัตรรวี เสนธนิสศักดิ์

1990年生まれ。あだ名はパーン。学生のころから創作に興味をもつ。

2017年の掌篇集『Lunar Lunatic』(P.S. Publishing)が若い読者を中心に話題となり、注目される。女性の登場人物の視線を通して描かれる世界の写実性と、そこに生まれる感情の豊かさのバランスが絶妙な新世代作家。

現在はオンラインコンテンツ関連の仕事で生計を立てながら、短篇の執筆や単行本の編集業務で心を養っている。

Instagram: paanchatrawee